レトロゲーム漂流記

古今東西のゲームと名のつく物が大好きなので、レトロゲームに限らずゲームについてのよろず書きます。

「クリアするため」じゃなくて「遊ぶため」のデータがほしい

ゲームの攻略情報はネットで検索したらすぐにでも手に入っちゃうんですが、そういうデータは「クリアするためのデータ」ってのが多いような気がしております。

特にRPGの攻略チャートなんてのは最たるもので、それをなぞっていくとゲームがクリアできてしまう。

こういうのはそのゲームで味わえるはずだった楽しみや得られるはずだった思い出を全部奪ってしまっているような気がしてなりません。
楽しんだり、工夫したり、考え込んだり、迷ったり、絶望したりを架空の世界で味わえるのがゲームです。それを味わわずしてなんとするか。
(最近は、いかに楽しくなぞるか、というゲームが多いような気がしますが)

アクションやシューティングでどうしても攻略できず、また自分のプレイヤースキルも及ばないから攻略情報を見るであるとか、ドカポン桃鉄、ただいま勇者募集中などのボードゲーム系でマップを参照するであるとか(ゲーム中でも見れるデータですが)、ウィザードリィマッピング済みのダンジョンで現在位置の確認が面倒であるとかで攻略情報を見るのは全然かまわないんですよ。楽しさを助長したり、味わいつくした後の補助的な役割なので。

ただ、せっかくもっと楽しいものが待っているのにそれを事前に見てしまって楽しさを損なってしまうのが非常にもったいない。そう思うわけです。
謎解きの答えだけ先に見てしまう感覚に近い。

悩み苦しむのを楽しむ境地にまでいかなくとも、答えをみて回答丸写しなんてのは悲しいじゃありませんか。
ぜひぜひ、もっと楽しく遊びましょう。





それはそうとしてロマンシングサガシリーズにおいては、クリアするためのデータは前提でしかないものであり乱数解析とかバグ研究とかデータの解析を楽しむという層が一定数いるようなのでまた別のお話という気がします。