ロール・プレイング・ゲーム
本来、ロールプレイングとは役割を担って演じることであり、テーブルトークRPGという紙とエンピツとサイコロで人間同士が集まってワイワイガヤガヤと台本をこねくり回すものであるはずだ。
言葉通りに取るのならば。
しかし日本国内ではその限りにあらず。
ファミコンがテーブルトークRPGのゲームマスターを機械に置き換え、人対人のゲームであったロールプレイングゲームを人対機械のゲームに作り変えた。
またロールプレイという言葉どおり役割を担うものであったゲームは形を変えていく。
プレイヤーは主人公を動かすに過ぎないものが増えていく。
独立して言葉を発し、台本は覆らない。ワイワイガヤガヤもしない。
これは操作性の高い映画だ。
主人公が喋らないロールプレイングゲームも台本がかっちりと決められている。
生まれや育ちは固定されているし、外見もきれいに説明書に載っている。
ロールプレイは必要ない。
眺めて動かせばいい。
これは肯定や否定の話でなく、日本ではこういうものになっているよなあ、という確認です。