なぜクソゲーはクソゲーであるのか、クソゲーとはなんであるのか。クソゲーのためのクソゲーの話をしよう
クソゲーの起源。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B2%E3%83%BC
wikiを参照してもらえればすぐわかります。元々はみうらじゅん氏が作った造語で、当時のファミコン雑誌がまたその言葉を使ったため広まったのがクソゲーという造語です。みうら氏がクソゲーという言葉を作ってしまうに至ったきっかけのソフトは「いっき」。ドラゴンクエストの抱き合わせ販売であったらしい。そういえばファミコン販売当時は抱き合わせ販売が当たり前のように行われていた。
今でこそ禁止されているけれど、ぼくは「ドラゴンクエスト4」を買うために抱き合わせの「スウィートホーム」も買いました。今振り返ればこそなんというお得なセットだろうか!と思えるものの、小学生当時のぼくではスウィートホームなんて怖くてできなかったし、母は抱き合わせ販売というシステムに憤慨しておりました。当時のスウィートホームはドラゴンクエストの抱き合わせになる程度の評価しかなかったんですね。映画原作だから仕方ないとはおもうのですが。
ファミコン時代から続く概念が、PS3やらwiiやらの時代まで続いている。しかしクソゲーという概念は徐々に変化してきていると思うのです。ネガティブから、ポジティブとは言わないまでもまあ可愛いところはあるんじゃないかな?というくらいに。
クソゲーという評価を下すのは簡単ですが、その決断を下すまでにどう評価し何を以ってクソゲーとするかは難しいところです。大まかに分けて以下のような欠点を抱えているからこそのクソゲーとなりうるのではないでしょうか。
クソゲーのジャンル(括弧内は代表例)
・制作時間がたりなかった(ゼノギアスdisc2)
・構造上のミス・システムの不備(カルドセプト)
・その他致命的な欠点がある(星をみるひと)
・わざとそのように作られている(たけしの挑戦状)
・おもしろくない(ミシシッピー殺人事件)
http://www23.atwiki.jp/ksgmatome/ ←クソゲーまとめ
明らかな設計上のバグ・製作上の不備がある場合にクソゲーと定義するのは簡単です。判別が難しいのはバンゲリングベイ、たけしの挑戦状、アウターワールドといった類だとおもわれます。
たとえば、アウターワールドはすぐ死にます。一歩歩けば死に、ボタンを押すタイミングを間違えれば死にます。何十回何百回というトライアンドエラーを繰り返しやっと一つの正解を導き出し、そしてまた数分後に新たなトライアンドエラーを繰り返す、それがアウターワールドです。
いわゆる覚えゲーというやつですが度を越しています。
グラディウスや魔界村も覚えゲー要素があるとおもいますがクソゲーとは呼ばれません。
それは開発がプレイバランスを考えてないだけだろ?というご意見もあるかとは存じますが、開発はこのマゾヒストしか喜ばないくらいのトライアンドエラーを繰り返さないとクリアできない、というバランスを目指して作っているのであればこれは成功です。売上には結びつかない気がしますが。
日本のメーカーはもう少しハードルをさげた親切設計なのでこのようなことはあまり起こりません。カプコンの2010ストリートファイターなんかはものすごいバランスです。とっつきにくいけどちょっと覚えたらめちゃくちゃハマるバランスを作り出しています。
ゲームにおける「理不尽なゲームオーバー」を演出と取るか不親切と取るか、そのあたりが判断を難しくするラインではないかとおもってます。パソコン用フリーゲームの「I Wanna Be The Guy」などはいわゆる初見殺しの連続、プレイヤーの熟練度があがらなければクリアどころか普通に画面内を進んでいくことすら難しいアクションゲームです。普通ならばただクソゲーと切り捨てられてしかるべき難易度なのですが、昨今のニコニコ動画に代表される動画サイトへのプレイ動画の投稿が一般化してきたため恐ろしく高い難易度を誇るゲームが視聴コンテンツ化し、ただ切り捨てられるクソゲーではなく娯楽のひとつとして昇華される例も珍しくありません。
バランスの整った一定ラインを超えたらクソゲー。
世界中のプレイヤーの最大公約数を超えたらクソゲーよばわりされるゲームというのがけっこうあるんじゃないかとおもいます。
ただつまらないだけの憎むべきクソゲーを世の中に送り出す手合いもいますが、そういう人達は市場原理に従って勝手に滅んでいくから生温かい目でみていたらいいんじゃないかなー。
(記事加筆修正予定)